■ ココ太 出産時の話。 ■





7月22日。

今日は、ココ太の誕生日ですー!

2才!おめでとー!



もう2年だ。早いね。

ココ太が、2歳になって、

改めて思い返してみる、出産の時。


ココ太はね、超難産だったでございますよ。



だからって、どうってことは無いのですが。

難産だろうが安産だろうが、すべからく出産は大変。

痛いものは痛い!



私は、2年経った今でも、

思い出すと、たまに泣いてしまうほどです。



とりあえず、入院してから産むまで、5日かかった。


5日・・・。私の周りでは、最長記録です。



母子手帳には、

分娩時の特記事項として、


微弱陣痛」「分娩停止」「回旋異常

と、書かれています。




微弱陣痛と言うけど、

微弱」だから痛くないってワケじゃなくて。


通常、陣痛が起こると、

10分おきから、6分おき、3分、1分・・・と。

だんだん、陣痛の波が狭くなって、やがて出産へと向かう。


対して私の場合、10分~8分おきから間隔が縮まらなかった。

つまり、10分おきの陣痛が、一晩中続くわけです。

3日も4日もずーーっと。





入院中、どんどん衰弱していくサマが、

夫っとが撮影したビデオに、残っています。

(撮るな!そんなもん撮るなっ!)




入院二日目。まだご飯は食べられる。







3日目。泣き出す。


この日、促進剤で陣痛が1分おきになり、分娩台へ。

しかし、途中で子宮が収縮しなくなり、また間隔が空く。


結果、「分娩停止」。

開いた子宮口も閉じてしまい、個室に戻された。





4日目。顔は土色。死相が出てる。


もう話すことも出来ず、

この世の不幸を全部背負ってる感。


それでも襲ってくる陣痛。

もう、何十時間この痛みと闘っているのかも分からない。

もしかしたら、永遠に続くのかも知れない。




分娩停止になった次の日の、4日目朝。


私は、「帝王切開にして下さい!」と泣きついた。


いつ終わるかも知れない痛みが、もう限界だった。

なんでもいいから、この苦しみから、解放して欲しかった。


だけど、長老の助産師さんに反対される。


このベテラン助産師さんは、

ご自身が二人の子供を、帝王切開で出産されていて。


帝王切開の大変さや、産後の回復の違いなどを、

私に懇々と言い聞かせた。


私は、子宮口が全く開かなかったから、やむなく帝王切開だった。

でも、あなたは違う。

今、この痛さから逃れるためだけに、帝王切開はやめなさい。」と。



自分の安易な発想を、

見透かされてしまったことが、恥ずかしくなったけれど。



今日は子宮の回復を待って、明日またがんばろう。

と、言われた時には。



鬼かっ!!と思った。



すぐにでも産ませて欲しいと思っているのに、

またさらに1日伸ばす?


この痛みが、まだ24時間以上も続くってことか?


もう一人でトイレにもいけないほど、体力も無いし。

明日必ず産まれるっていう、保証も無いのに?


私にこれ以上、どう耐えろと!!




暴れたくても、暴れる力さえ残っていない。

なんかもう、半狂乱・・・。




それでも、その言葉どうり、

そこから更に丸1日、

絶望的に長く感じた時間、陣痛を耐えたのは。


助産師さんを、信頼していたからです。



彼女は、そこにいるだけで、その安心感からか、

陣痛の痛みが和らいでしまうほどの、カリスマ助産師。


医師は、夜通し私の陣痛に付き合って、

隣で一緒に、呼吸法までしてくれる、そんな先生。


そして、他のスタッフも。


この人達がそう言うのなら、もうそれに従おうと思った。



まぁ、実際のところ、

もうどうでもいい、なんでもいい」ってぐらい、

思考力も低下していたのですが・・・。






そして最終5日目の、

分娩所用時間は、14時間50分




長い苦しみの末、

3850グラムで産まれた我が子。


出産予定日から、

2週間遅れて産まれてきた、でかベビーは・・・。



パタリロ顔でした。




いやいや。

赤ちゃんは、産まれた時みんな、

パタリロガッツ石松か、どちらかなのよ。

(えーー・・・( ̄△ ̄;))






今はあんなに可愛い、ラブリーゆうたんも、

産まれた時は、ガッツだったもんね!ぷっ!





みなさんのお子さまは、どっちでした?

パタ派ガッツ派?( ´д` )

(決めつけんな・・・。どっちでもねぇわ。)





続き→出産の話(2)






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